プロフィール

あのムワッとくる暑さ、飛行機から出た瞬間にいつもそう思う。
レンタカーで空港から58号線を北上させる。
那覇のビジネス街の渋滞に入って行く。
「あ~又沖縄に来てしまった~。」と思える瞬間をそこで感じるのです。

沖縄との出会い〜沖縄生活
数えきれないくらい何度も来ている島だが、いつも新たな考え方に気づきます。
そして沖縄に対する想いや考え方も少しづつ変わって行きます。

92年に初めて沖縄という島に足を踏み入れました。
その時は修学旅行ということもあり、最初は連れられるがまま行き、ただただ友達と楽しく日程をこなすだけの旅でした。京都に帰ってからジワジワ沖縄の魅力に取り付かれていきました。
そして自分の意志で行きだしたのはその翌年からでした。
大学1回生の夏休みに友人と2人で原付にテントを積んで本島を一周しました。
触れる物全てに愛着を感じだしました。
そこに立っている事だけで幸せだなあと。
大学4回生になり就職活動が始まり最初は他の皆と同じくこなしていました。
音楽が好きだった僕はレコード会社を希望していたため東京にも面接に行ったりもしましたがどこも全滅。
気持ちを切り替え沖縄に行ける企業を探し出しました。

そして(株)ファーストリテイリングに拾っていただき、自ら希望し沖縄のユニクロ与那原店に配属され沖縄生活がスタートしました。
入社し半年で与那原店の店長をまかされ、その1年後那覇店に異動になり半年間ユニクロ那覇店の店長を務めました。

全てが自由だった。
そばが食いたくなったら丸安そばへ、タコライスが食いたくなったらキングタコスへ、海に入りたくなったら車で飛ばして真栄田岬へ、音楽が聞きたくなったらコザのピラミッドへというように沖縄生活を満喫していた。思い出すだけで胸がキュンと切なくなるような初々しさがあった。

2年間沖縄本島に住むと、もちろんいろんな人にも出会い、
現地の人との付き合いも生まれ、いろんな場所に行き、
もちろんしがらみも生まれ、何かを考える。

ちょうどその時、沖縄で飲食店やりたいとなぜか思ってしまった。
大学生の当時、京都ではよく木屋町にあった電気食堂や地球屋とか防空壕というお洒落だと思っていた居酒屋に行っていたのもあり、沖縄で自分がそういうのやれたらなぁとぼんやり思うようになっていた。
「とにかく会社は辞めなあかん」ということで退社。
最初は砂辺ビーチでパーラーでも開こうかなと 北谷の役所まで行った覚えがあります。
パーラーとはバン等の車で移動販売などする沖縄の飲食商売のスタイル。
新規での屋台販売は認められないと説明を受け、これはそうとう難しいと実感。
やらなくて良かった。

それでも沖縄で住んで行きたいという想いは続く。
米軍基地で働きたいと思い立ち、話を聞きに行き、倍率の高さと英語力から断念。
そのときとりあえず会社を辞めたはいいが、自分の人生の先が見えないという不安な気持ちで京都に帰ったのを覚えています。

飲食業への階段
京都に帰った僕はしばらく実家の漬物屋のお手伝いをしていました。
毎日々々漬物を漬けていましたが、やはり何かにチャレンジしたいというよくある若者の衝動が僕にも溜り「東京行ってみたいなぁ〜」と思うようになってしまいました。
そうなると決断は早く、すぐ引っ越しを決めました。
漠然とした想いで東京にぼろアパートを借り僕の飲食業生活がスタートしたのでした。
最初は右も左も分からず、西麻布のファミレス的なイタリアンに勤めました。そして勤めだして2ヶ月が経った頃、休みの日に恵比寿のとあるフリマである人物と知り合いました。その方は南青山でイタリアンを経営しているという社長さんでした。なにげなく話していたら「明日からうちの店に来い」と突然誘われ、僕も「はい行きます〜」てな具合で本当に数日後から骨董通りにある「A.D.K」というイタリアンで働くことになりました。そのお店はオーダーもイタリア語で通すという本格的なお店で、働いている方達もイタリアで何年か修行してきたという人達ばかりでした。すぐにそのお店にはなじむことが出来たのでしたが、料理の「り」の字も知らない僕にはついていくことが必死でした。最初はホールの担当でしたが、しばらくして皿洗い等の洗い場に降格、そのあと人員整理(リストラ)の対象になり、その店を去ると同時に東京も去ることにしたのでした。クビになったわけですが、僕はそのお店で料理人の格好良さを肌で感じることができました。僕もいずれあんな先輩達みたいになれたらなぁと思えたのでした。そしてまたまた京都に戻ったのでした。

けだるく悶々とした日々
大阪にも数ヶ月住みましたが、その間も入った飲食店はすぐに辞めてしまったりで完全に自信喪失、何をやってもうまくいかない日々が続きました。
そんなダメダメモードの中ふたたび京都に帰ってきた僕はそれでもノートにはいろいろ自分の理想のお店、やりたいお店の案だけはたくさん書き記していました。そんな中、自分の好きなことや物、シチュエーションなど一枚の紙にいろいろ書きだししばらくボーっと眺めているとハッとなりました。まさしく点が線になる瞬間を感じたのでした。「今のやちむんのスタイル(鉄板焼きで沖縄料理・沖縄創作料理)やったらずーっと沖縄に携わっていられるし関西人のソウルフードであるお好み焼きも焼ける!鉄板も大きなフライパンみたいなものだからチャンプルー料理も鉄板で作ればいい!自分の好きな音楽をかけてそれに合わせて料理できるやん!」「名前はやちむん(沖縄の焼き物)にしたら鉄板焼きやし意味も近いし、やちむんの「ちむ」は心(肝)それをはさむ「やん」はあなたのという意味であなたの心に残るお店にしたい」とかいろいろ溢れ出て止まらなかったのでした。
こうやって今のお店のコンセプトが産まれました。

やや沖縄「やちむん」の始動
コンセプトだけは決まりましたが、飲食店でもキッチンにほとんど入ったことがなかった僕には調理や食材の知識、技術、経験が圧倒的に乏しかった。
それでも2年後には絶対お店をオープンさせる!
そうすると自ずと自分に足りないものが明確に見えてきました。
それを時間を逆算しこなしていく。
そうするとあっという間に2年が迫ってきました。
まず京都でやろう。
これは地元の安心感もありました。
「やや沖縄」をコンセプトに店を立ち上げることに。
自分にはそれしかないというかなり強引な思い込みがありました。
今ではスーパーに行けばゴーヤーも普通に売っていますが、とうじ沖縄料理はベトナム料理やタイ料理などのアジア料理の一つにカテゴライズされるぐらいのもので、今ほど日常に溶け込んでいなかったというのもあり、関西人でも毎日・毎週これるようにと鉄板焼きメニューも半々ぐらいで提供しました。もちろん今もそれは変わっていません。
基本的に沖縄の宮廷料理・家庭料理を京都人の口に合うようにアレンジした創作料理であったり、味付けも京都ベースに仕上げております。
もちろん京都にも昔から老舗の沖縄料理店やうちのお店よりも沖縄を感じる事ができるお店はたくさんあります。
僕は僕のやり方で京都と沖縄を飲食店というアプローチで好き勝手に結びつけ自由にやっております。
それが自分にとってのライフワークである事には間違いないですし。
開店6年目にして念願の沖縄店「りずむん」を名護に出店することもできました。
しかし沖縄での出店は予想以上に難しかったのです。
ロケーションは良かったのですが、近くにリゾートホテルが少なかったこともありどうやったらお客様に足を運んでいただけるか、毎日々々頭を抱えていました。「見切り千両」という言葉が常に頭を支配していました。
そして結局4年という時間で僕の夢が終わったのでした。
完全に沖縄店の閉店作業を終わらし京都に戻った僕はとりあえず京都のお店をもう一度しっかり立て直そうと気持ちも新たにやっていきました。

次なるステージへ
京都駅にスバコという伊勢丹が運営しているショップがあります。
そこは京都のお土産からお弁当、ドリンク類等の京都の食品館みたいなお店でして名だたる有名店が軒を連ねております。そんなところにやちむんの弁当を並べるというチャンスが現れました。
スバコには実家の漬物屋がもともと入っているのですが、ショップディレクターさんを紹介してもらいプレゼンする機会を父から与えてもらえました。何度かのプレゼンを経てスバコへのお弁当納品が決まりました。お弁当はやちむんというお店のことも何も知らない人が見た目と値段で瞬時に判断し購入するというのが当然。ディレクターさんからもアドバイスをたくさんいただき「食べて美味しい弁当はたくさんある。もちろん味がいいのは当たり前だが、それ以上に美味しそうな見た目が一番大事だ。」ということでした。料理を綺麗に盛り付けるというのとは少し話が違うものでした。「売れる」ということを真剣に考える日が始まったのでした。例えば肉ですと火の通し加減も売れ行きに大きく左右するし、蓋をして最後にかける帯のデザインも大きなポイントであります。ですので今までに使うことがなかった脳みそを使う仕事になりました。これはこれで非常に楽しく自分の身に確実に付いているとも思えます。
そうこうしているうちに僕と働きたいと言ってくれる社員が徐々にですが3人〜4人と現れました。

「串焼き やちむん」のオープン
そして新店舗「串焼き やちむん」がオープンしました。
やはりお店を始めるということは自分が行きたいお店を作るという単純なことでもある。
このへんに行きたい串焼きのお店がなかったからそれじゃ僕が作るよ!って感じ。
今回も沖縄のエッセンスはもちろん、それだけでなく牛ホルモンや焼き鳥にもチャレンジしている。以前は小さな喫茶店だった店を改装しお店にしたので、少し狭さを感じてしまうが今回は2階の部屋も客席にした。今回は一からのスタートではなく本店の存在を利用できるので4ぐらいからのスタートかな。本店との距離も歩いて2分くらいだし何かあればすぐに行き来できるスープの冷めない距離。本当にスープを運んだこともある!

「京都で沖縄といえばやちむん」を目指して
前述したように京都にも沖縄を表現したお店がたくさんありますが、そんな中でも沖縄っていえばやちむんを思い出してもらえるようにこれからも精進していきたい。
そして従業員達とともに「京都人に溶け込む沖縄」を素直に表現していこうと。
いいところも悪いところも出して。
今でも年に2回は沖縄に足を運びます。
沖縄の現実の変化を行くたびに肌で感じます。
沖縄はどこに向かって走って行くのか?
でも僕はどこまでもついて行こうと思っています。

三輪 達彦 / 1974年生まれ

90’ 久世中学校 卒業
93’ 同志社国際高校 卒業
97’ 同志社大学文学部 卒業
97’(株)ファーストリテイリング入社
99′   同社 退社
03′  鉄板焼物やちむん open
09′  沖縄店りずむん open
13′  沖縄店りずむん close
15′  炭火串焼やちむん  open